日本の展示会の沿革から見る特徴

1.日本の展示会の歴史
日本の展示会の先駆けといわれているのが1871年に京都の西本願寺で開催された京都博覧会である。これをきっかけとして京都府と民間会社で京都博覧会者が「京都博覧会社」を創設し、この京都博覧会社によって1928年までほぼ毎年「京都博覧会」が開催された。
その後1877年に商工業の振興を目的とした「内国勧業博覧会」が開催され、その後全国各地で様々な博覧会が開催されるようになった。第二次大戦後は各産業分野において、業界団体が主体となり多様な展示会が開催されることになった。1948年には日本自動車機械工具協会による「自動車整備用機械工具実演展示会」、1954年には、日本自動車工業会sによる「全日本自動車ショウ(現東京モーターショー)」、1962年には社団法人電子機械工業会による「エレクトロニクスショー(現CEATEC JAPAN)」などが開催された

2.日本の展示会の特徴
このように日本の展示会は博覧会をきっかけとして始められたものであった。博覧会は一般大衆、一般ユーザー向けのPRの場であるため、現在の展示会においてもBtoCを主眼に置いた内容がほとんどであったといえる。また、主催者が業界団体であることが多いという特徴があり、出展者が同業者で占められる状況になる。その結果BtoBタイプの展示会では競合が生じてしまい、BtoBによる展示会が受け入れられなかったという背景があり、その点からも展示会のメインはBtoCという状態が続いているということであろう。

3.プレイヤーから見る特徴
また、各プレイヤーに焦点を当てて日本の展示会の特徴を考えてみよう。まず主催者について、海外では専門業者が主催することが多いが、日本では新聞社などのメディア、業界団体などが主催することが多い。また出展者はこれまでの産業構造と同様、自動車、工作機械、エレクトロニクス分野のメーカーが出展の中心となってきた。そして、展示場施設については、全国に大小の施設が用意されているが、海外と比べると面積が狭く小規模施設が多いという特徴がある。

4.今後の課題
先にあげた特徴を含め日本の展示会の傾向を考えると、広告宣伝の場としてとらえられており、BtoBを目的とした、契約に直接つなげる商談・ビジネスの場として十分活かされてこなかった。海外の展示会ではビジネスの場として機能しており、それぞれの国の産業の強みを発揮し国内外から多くの参加者を集めている。今後は、日本でもIR法案をはじめとして、MICEの誘致・推進が国の成長戦略の一つとして位置づけられており、日本の展示会もBtoBの形に近づいていくことが予想される。日本の展示会産業の発展のため、機能を高めるとともに、国際化を推進していくことが必要になろう。